現在、モノが作られる状況は深刻です。
それは「消費」されることが
優先され過ぎているからだと我々は考えています。
そしてここで、「消費」は「していただく」と
表現したくなるような状況ですらあります。
カフカの初版は800部でした。
しかし今日本の出版はどんな作家であれ
2、3000〜10,000部以上というような単位で
売れる事が求められています。
現代においてカフカのような作家は
出版する機会すら与えられないでしょう。
新しい表現、新しい価値観は
いますぐ受け入れられるもの、いま受け入れられやすいもの、
とは相容れない場合も多々あるのです。
さらに同じ「消費」という言葉でも、
「すべては消費しつくされ、あらゆることは形骸化、
陳腐化してしまっている」
という前提から、モノ作りがされている場合もあります。
たしかに90年代には
「もはやすべてはやり尽くされ、
オリジナルで新しいものなどもう作り出すことは出来ない」
という諦観に似たものがあり、
REMIXやSAMPLINGこそがそれに対する解答だと
言われていたような時代もありました。
しかし、ここでいわれる「消費」とは、
「どこかの時代」に
「誰かが作り出した文脈」を鵜呑みにしたまま
使い尽くした事による現象であり、
その体でいえば、REMIXやSAMPLINGそのものが
いつか「消費」されてしまう危険性をも孕んでいます。
今更わざわざここに書く必要はないのかもしれませんが、
これらは既に手法として完全に取り込まれ、
カウンターとして機能すらしていないのが現実でしょう。
そもそも
「すべては消費しつくされ、あらゆることは形骸化、
陳腐化してしまっている」
という前提そのものが、自分の逃げ道をあらかじめ設定する
という行為に他なりません。
誰が決めたんだ? そんなこと。って話な訳です。
また、前提というものが様々な弊害を産み出してもいます。
いまある「かたち」として認識されているものが
そのもの本来の「かたち」であるという前提。
今回、このプロジェクトは「本」を作ります。
さて、「本」とは紙が背で綴じられているものの事でしょうか?
表紙を持つものが果たして「本」なのでしょうか?
今ある機械で作る事が出来ることを前提として
考えられたものが「本」なのでしょうか?
現在機能している販売経路を通すことを
条件に作られたものが「本」なのでしょうか?
活字が作られて以来人は、
論理だった線的な思考を当然のものとして
受け入れてきました。
しかし、私たちが日常的にしている思考は
そういったものでしょうか?
首尾一貫したものでなければ「本」ではないのでしょうか?
そして芸術とは本来鑑賞する為だけのものなのでしょうか?
私たちがここで行おうとしているこのプロジェクトは、
その「矛盾の円環」を断ち切り、
全てのかたち、形式、形態を鵜呑みにすることなく、
あらゆる前提、常識、構造を払拭するところまで
遡ることを第一歩とします。
我々はこのプロジェクトを通じて、
ある答えを見いだそうとしています。
様々なアーティスト、様々な職人が関わり、
そこで産み出されたものに美が宿ると信じています。
故にこのプロジェクトに
ARTS AND CRAFTSの名前をお借りすることにしました。
この言葉元来の意味からは外れた解釈をしているでしょう。
しかし、この言葉に新たな意味を肉付けしていくことが、
このプロジェクトの本質です。
それは決して「正解」を出すものではないかもしれませんが、
我々はチャレンジをします。
そのチャレンジは今年1年にとどまりません。
5年、10年、20年と継続していく心づもりです。
その過程はこのサイトでご覧いただけます。
そしてこのプロジェクトを企画したのは
ひつじ工房です。
また、協力してくれる方、賛同してくれる方、
援助をしてくれる方を募集しています。
連絡は
こちらまで。
よろしくお願いします。